Apr 08, 2009

数多くのレンタルサーバーの中から選択

最近、ブログ以外のホームページを運営したいのですが色々と調査しているホームページの運営に必要なもので、ホームページ作成ソフト、ドメインレンタルサーバーが必要です。ソフトウェアは、ホームページビルダーを使用して、問題は、ドメインのレンタルサーバーをどうするかでした。ドメインのアドレスのようなものなので、まず、安いところを準備ここでは、レンタルサーバーを探しています。通信速度や容量など、各社いろいろなので、悩みどころです。初心者ということで、簡単に計画したが、今後問題が出るとは、監督も考えなければならないのかなど、けど今のところ不自由なく快適に使用していただいております。
いつも安心してPCを使用するようにするには、データを回復用のバックアップが欠かせないと思っています。いつPCが調子悪くなるかわからないため、定期的に管理していくことが重要だと思います。これらのデータの回復についても、データの保存方法を構築しておいた方が良いかと思います。いつも使っているPCの状態に戻すことが重要なポイントだと思います。
 ■復興「何かが見えつつある」

 「明日から南区を離れることになりますが、遠くない日に戻り笑って暮らせる日に思いをはせていきたいです」

 12日に行われた、南区公民館に設けられた避難所の解散式。代表の佐川均さん(60)は、3カ月にわたり共同生活を送った被災者や近隣住民、パトロールを通じて親しくなった警察官らを前にあいさつした。

 ホタテなどに代表される海産物が自慢の岩手県大船渡市三陸町越喜来(おきらい)地区も、津波で漁業は壊滅的な被害を受けた。「なんと言っても漁業によみがえってもらいたい。(復旧ではなく)復興するからには、今までよりもっと良くなってもらいたい」と佐川さんは話す。

 越喜来には水産加工施設が少なかったため、海産物はそのまま近隣の業者などに卸していた。これでは販路が制限されてしまう。

 佐川さんが、「来年はないよ」とホタテの刺し身を出してくれた。しょうゆをつけなくても十分な味と歯応えは、なかなか他では味わえない。しかし「このまま出しても良いのか自信がない。どうしても、二次加工まで考えないといけないんじゃないかと思ってしまう」と話す。そして「今までになく三陸が全国に注目されてるのは分かる。この状況を逆に利用して、この海の味を広めることができるのではないかと考えることもあります」。

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 津波は漁船も奪った。船をそろえるのは簡単ではないが、船がないと漁ができないのは明白だ。

 漁師がおのおの個人事業者だったこれまでの形では、どうしても1人に1隻の船が必要になる。「漁のあり方から考え直す必要があるのかもしれない」。佐川さんはこう感じることもあるという。同様に多くの漁船を失った同県宮古市では、漁船のシェアや月給制など、個人の漁業から組織的漁業へ転換する試みが始まっている。しかし、これまで自分の腕で収穫を競ってきた漁師たちには、このやり方を受け入れがたい心もあるようだ。

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 「最初はみんなでワイワイ騒いでいるが、行き着くのは今後の話」と佐川さん。避難という理不尽なきっかけで、公民館前の“テント村”では3カ月の間にさまざまなことについて議論を交わしてきた。

 「何かが見えつつはあるんです。あと一押し。組織や行政に、自分たちで働きかけるくらいにまでなりたいです。それが60年間育ててくれた越喜来への恩返しになればと思います」

 将来を思う場は、仮設住宅へと移った。(門井聡)

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 明治の東京・下町を舞台にした中勘助の小説「銀の匙(さじ)」を中学3年間かけて読み込む授業で「伝説の国語教師」と呼ばれた橋本武さん(98)が18日、27年ぶりに灘中学校(神戸市東灘区)の教壇に立った。

 同校の特別授業「土曜講座」の一環で、2、3年生計約50人が受講した。ベレー帽をかぶって教室に入ってきた橋本さんは、「懐かしの教壇にまた立てた。銀の匙を学ぶ喜びを君たちと共有したい」と語りかけ、「生涯の心の糧になるような授業をしたい」と銀の匙の授業を始めたきっかけなどを紹介した。

 橋本さんはかつてと同様に手作りのプリントを用意。テキストから横道にそれながら、生徒たちに「遊ぶ感覚で学ぶ楽しさ」や国語の魅力を伝えた。最後に、橋本さんが「授業を受けてくれてありがとう」と話すと、生徒たちから拍手が起こった。

 2年の山口晃太郎さん(14)は「自分で考える授業が新鮮だった。先生の話一つ一つにも内容がつまっていて面白かった。3年間受けてみたかった」と話していた。特別授業は25日も行われる。

 橋本さんは昭和9年から50年間、同校に勤務。25年から、教科書を一切使わず、「銀の匙」の文庫本1冊で授業を行った。

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